最後まで気を抜いてはいけなかった7月

7月はいろいろ意識的なところで
変化も大きかったのですが、
これで終わりかな、と思った昨日。

油断してたら衝撃の気づきがありました。
それは、

「左脳型と思ってたらド右脳型だった」

件。

 

ほんとはどっちとかタイプ的なこと自体はどーでもいいんですけど、
要するに。
自分が認識してた自分はだいぶ勘違いしていた。
とゆーことです。

後天的に左脳をゴリゴリに使うようなことをしていたのは事実で、
(仕事とかね)
俗にいう『右脳タイプのひと』たちの感性や表現にまったく共感できず、
右脳的なところが自分にないな、と思っていたので、
自分で左脳型だな、としていたのですね。

が。

まあそれもなんかおかしいな、とうすうす思っていたのです。
自分の記憶の仕方とか、勉強の仕方とか、仕事の仕方とか、理解の仕方とか。
いたる所で自分のは、なんか全然他の人のやり方と違うからです。

 

資格試験や受験勉強のやり方から始まって、

人から、すごい努力してやっているように思われることは、
私にとっては「全然頭を使ってやっていない」ことだったりするから、
努力にすらカウントしないし、

他の人のものすごく計算したり論理的だったり筋道立ててるようなことが、
自分には全然できない(要素がない)し、
むしろほとんど勝手に体が進めていくような感じで頭を使ってる意識がやっぱりない。

・・・書き出したらキリがないくらい、
「なんか変だぞ!?」というのが随所にあったのです。

 

どうやら、この私の「頭使ってない」と言う表現は、
「左脳なところを使ってない」という意味だったようで、
むしろ私のやり方は、基本的にものすごく右脳的処理をしまくってたようなのですね。

・・・と衝撃を受けていたのですが、
考えてみれば、スピリチュアルに関するあれやそれは基本的に右脳なことですから、
まあそうか、そっちがメインでも、不思議ではないのか・・・

 

って、
なんでこんなにそういうのを考えてるのかってゆーと、
今みたいに「教える」「伝える」を仕事にするようになったからです。

以前の職種とかでも
同僚やお客さんに教えたりサポートしていたので、
技術的なところは鍛えていたかとは思います。文章とかコミュニケーションとか。
でも、毎日一緒にいる人や、解決しない場合はずーっと聞いてくれる人に教えていたわけで。

この仕事にして、
その講座限り、そのブログ記事限り、たった一回限り・・・みたいな環境になって、
それは今までとはまた別で、しかも見えないものを扱って、
どうしたらこれがきちんと伝わるだろうか?っていうのは、
ずーっと考えてあれこれやっているのです。

人は、
自分のやっていることや考えていることが、『当たり前の常識』と思っているので
そうじゃないんだぞ、というのは、私も特に気にするようにしています。

その時に、やっぱり自分のやり方もだし、
目の前の人の理解の仕方とか、そういうのをすごく観察するようにしててですね。

特に、
「どうやったらできるようになるか」を考えて提供しているので、
自分の土台を確認するっていうのは外せなかったのですよ。

って、
まさか思ってもよらないところを
気づいたのだけどね。

 

まあね。それでも実はね。
「マイコの常識は、世間の非常識」とは、
いろんな人によく言われたものでしたね!そうかよ!
私が「これくらいやるでしょ」っていうと、
「やらねえよ」もよく突っ込まれてたよ。

 

無意識ではもちろん、得意な方が勝手に動いてるし、
得意でないことも、力づくでクリアしてきただろうから、
認識が間違ってたって特に問題はないのでしょう。

意識上に上がってきたということで、
今後はどっかでやることが、
いろいろ変わってくるのかもしれません。

 

いやー。
不惑とか言って、戸惑いまくりですね。落ち着かんね。

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