願いの叶い方とご褒美の定義とは

よーし明日はいきなりステーキいっちゃうぞ!

って決めてた時に、

あーあーでもちょっとだけカレーも食べたいなー
トッピングにカレーつけてくれればいいのに、
あーあーあー夢ーゆめゆめー

ってぼやきながら、
翌日お店に足を踏み入れたら。

 

なんとおおおおおおまさかの『カレートッピング』なるものがメニューに入っていたあああ
ほんのちょっと前に行った時はそんなのなかったのにー!(この店舗では)

いやっほう!
夢かな!?夢だよゆめゆめーーー!!
って浮れて注文しました。

日頃小麦粉自制して生きてるもんで、まるまる一皿とか食べれないんで、
(小麦と油でノックダウンだからカレーとか辛い。からいじゃなくてつらひ)
このトッピングというちょっぴり感が、
ジャスト過ぎてなおさら感涙ものだったのさあ。

 

これを
「自分の願望が叶った!」と思うことももちろん可能ですが、

「いきなりステーキにカレートッピングがメニューイン」という事実を
ピピッと無意識でキャッチして、
その結果、自分がカレーを欲した、と見ることもできますね。

 

いやどっちでもいいんだけど。

 

高次の存在が願望実現のサポートをしてくれる時、

実現のプロセスとして、
必ずしも『他者から与えられる』とか『偶然の棚ぼた』になるとは限らず、
『自分で正当な手順で手に入れた』というのも入るよ

っていうのがあるんですけどね。

 

ざっくりいうと、
「あーんケーキが食べたいよう欲しいよう」ってお願いしたら、

今日会う友人が手土産で持ってきてくれることもあるし、
差し入れのケーキが配られてるときに偶然遭遇しておこぼれをもらうこともあるし、
街で突然「これお嬢さんに」ってもらうこともあるかもしれんけど…

「そうだローソンで買ってこよ」って思って、
ローソンに自分で買いに行ってもいいわけです。
実現ということには変わらんよね?っていう話。早いし確実。

つまり、実現したいことはケーキを食べるってことなんですけど、
ここにいろいろ、ラッキーとか偶然とかお金がとか他者からのうんぬんとか載せますと、
ゆーたら実現の手段をしぼることになりますので…

 

いやーもうだから、
『とにかく手に入れることを実現させたい』のか、『特別な手段での実現』が欲しいのかで、
違うよねっていうことですよ。

 

…っていうのは今回はマクラ、つまり、前振りでね。

よく上から頼まれて仕事をしててね、
さすがに疲れて消耗するんで、甘いものとか欲しくなるんですよね。

やがて月日は過ぎて、
甘いものを手に入れると重めの仕事が降ってくるという、
もはや鶏が先か卵が先かというような、
恐ろしいルーティンが出来上がりつつあるんですけどね。

ついには、外出していて
「ねえねえ、あそこの◯◯を買うといいよ!」
近くで売ってる私の好物を勧めてくるのですよ。

言われんでも買うし。もともと買うつもりだったし。

「いつものお礼だよ!ご褒美だよ!」

いや、
お礼を自分のお金で買うってのは納得いかないな?
っていうかもうそれは単に自分へのご褒美フロム自分で、
こんなもん、
そっちからのお礼とするのはノーカウントじゃーーーーーーい!!!!

 

「こちらの世界では『ご褒美』です」

 

うおおおおおお。
そらー非物質のひとたちが物質世界で直接お礼なんかできんじゃろーけどおおおおおおお

それが価値観の違いってやつなのはわかるけどおおおおお。

 

「お礼だよ。買って来いよお前の金で」ってのは、
ぜんぜんふにおちなーーーい。

そのドヤ感、納得いかなああああい。

で、
どうしたかっていうと?

買いましたよ。名店、紀の善の抹茶ババロア。
もちろん自分の財布からですけどもー!?

 

(他の形でもお礼してくれてるそうですけどね。一応ね)

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