質問:そのワークは何のためにやるのか

これについて触れておこうと思います。

 

過去のトラウマや事故、事件などで

「水恐怖症」「対面恐怖症」「刃物恐怖症」

…などの恐怖症を抱えていらっしゃる方がいると思います。

 

ブロック解除ワークなどに取り組むことで、
恐怖症自体は、解消することができる場合ございます。

(原因はその人によっていろいろあるので、個人差があります)

 

しかし。

大事なことがあるのです。
というか、ワークの性質を理解してできていないと、
勘違いしかねないことがあるのです。

 

それは、
ワークで恐怖症が解消されたとしても、

【それに対する経験値は0である】

ということです。

 

例えば、水恐怖症が解消したとして、
水に触れたり入れたりするようには、なるでしょう。

でも、それまで水にも近寄れていなかった人は、
当然「泳ぎを習得したことがない」「少なくとも恐怖症の期間、泳いでいない」のです。

だから、入れるようになったからといって、
即泳げるようになるわけではないのです。

 

 

なぜか忘れられがちですが、
本来、ブロックというのは、「自分のために自分で持っている」ものです。

(わからないならばテキストを何度も読み込んでください)

 

いくら制限や不便、不都合があったとしても、
そのブロックのおかげで、

「安全に生きていられる」

のです。

 

言い換えれば、
刃物が怖くて握れないおかげで、

「包丁をやみくもに握って、扱い方を失敗して大怪我しなくて済んでいる」

のです。

 

刃物恐怖症が治って、
いきなり料理人みたいになるわけがないですよね?

小さい子供がおてつだいで、
おっかなびっくり包丁を握るようなところからのスタートですよ。

だって、今までやったことないんだから。

そこからは、
他の人と同じように、扱い方を覚えて、
何年も何十年もかけて練習していくことが必要なのですよ。

 

もちろん、上手くなるには
器用さとか実直さや勤勉さ、そして性質や才能なども
大きく絡んできますよね。

 

 

恐怖症とまではいかなくとも、
苦手を克服したい、できないことをやりたい、ために、
その原因をワークで解決したい場合も同じ。

「苦手だ!」と過剰に反応しなくなっただけで、
別に、突然上手にはなりません。

上手じゃないんだから、
やろうとすると「いやだな…」と胃が痛くなるのも変わりません。

 

例えば、「人前で喋れない原因」を解消したって、
今まで苦手で喋ることを避けてきたんですから、
いきなり人前に出たって、下手くそで酷い結果になりかねないよね。

だって、
わかりやすい伝え方も、話の盛り上げ方も、取るべき身振りや姿勢も、
身につけていないでしょう?

何より大事な『場数』、こなしたことないでしょう?

 

原因を突き止めて、解決したら、それがゴールじゃなくて、
そこからやっと『スタート』なのです。

勉強して実行して研究して工夫して失敗してまた勉強して…

っていう。
誰もがやる、いつもの、当たり前のルートの。

やったところで向いているかどうかは別だし、
成功するかどうかも別、っていう、いつものやつ。

 

ワークが意味ないとかそういう話ではないよ!!!

 

そのワークは何のためにあるのか、
ワークの趣旨を理解して、自分は取り組めているのか、

何より、自分は何のためにそのワークをやるのか、

っていうのを、
今一度見直すことが必要だと思うよ。

 

ワークはあくまでも『手段』のひとつです。
ワークをしないと達成できないわけでもありません。

努力せずにらくしょー!とかならないからね。
ある意味、今までは使えていた「努力しなくて済む言い訳(=ブロック)」が、なくなっちゃうってことだからね。

 

特に、ブロック解除ワークは

『問題解決のためのワーク』なので、

問題が見事解決したら、その先は自分が努力しないといけないところ、
よね。

あ、言い方違ったわ。

「自分がいくらでも努力できるようになったところ」、だよね!

だって解決して、その先を頑張りたかったから、
ブロック解除ワークをしたんでしょう?

 

 

また、ブロックだからといって、
必ず外さないといけないものでもありません。

ここも勘違いされやすいね。

 

その苦手なことや辛いことを、やらなくてもなんとかなるのであれば、
そのまま持っていたって、いいんです。

避けて生きていたって、いけるならそのままでいいんです。

あなたを危険(苦手や辛さ)から守ってくれる、大事な意味もあるのです。

 

ある意味、苦手を避けて生きることができるように、
あなたが今の人生で、うまくやりくりしてきた結果でもあるんだから。

そこは「自分よくやったわ〜」って、したっていいんだよ。

 

 

泳がなくて済むなら、別に、泳げなくてもいいんですよ。

私は水恐怖症ではないけど、練習してもできるようにならなかったし、
未だにたいして泳げません。
「いざという時のために」っていうけど、それはそれでもうどうしようもないでしょう。

(少しできるようになったくらいで、そんな緊急時に泳げる気はしない)

そのいつ来るかわからないいざという時のために、時間やお金を割いて、
克服したいか、と聞かれたら、正直そんなことはない。今のところ。

でも、なんらかの拍子に
どうしても泳ぎたくなったら、必死で練習するとは思う。笑

 

 

自分がどうしてもこうしたい、手に入れたい、と思った時に、
必要と思ったら、どうにかこうにかなんとかがんばるでしょう?
お金だって、時間だって、体力だって、人脈だって、どうにかするでしょ?

それと同じで、どうしても進みたい方向に、
もしもブロックが原因で行けないのだとしたら、
何とかどうにか外して、その先に全力疾走するでしょう?

「全力疾走は…別に…」となるんだったら、
じゃあそれ、外さなくてもいいんじゃないかなあ、と思うわけです。
やみくもに外せばいいっていうのは、『ワークの目的』からも外れてくる。

 

 

思ってるよりもライフイズヴェリィショートですからね。

ここまで踏まえて理解した上で、
今、自分が取り組むべきことは何なのか、考えて欲しいところなのでございますよ。

 

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