いきなりのぼやきから始まってしまうんですけども。
雑誌が、つまらなくなっちゃった。
ずーっと雑誌というものが、好きでした。いろんなジャンルを読んでました。
学生の頃は、図書館で片っ端から読んでましたし、
帰り道の書店でいっつも立ち読みしてました。
もちろんたくさん買ってもいた。
サブスクで読み放題が始まってからは、
飛びつくように契約して、発売日(だいたい覚えてる)の朝に読むのが楽しみでした。
なんだけど。
お気に入りの雑誌はどんどん休刊、廃刊していき、
中身はどんどん薄くなり、なのに値段は高くなり…
月額の読み放題だから良いものの、雑誌単体で買うのはもうなんだかなあと思っているところに。
追い討ちをかけるように、生成AIが流れ込んできた。
もーーーーこれ、AIに出させたキャッチコピー、キャプション、文体…そのまま載せたでしょ!?ねえ!!!
っていうのが、紙面のそこここに見つけられちゃうから、プロだろ!!ライター!編集者!自分で書け!!!!って、もう、がっくりしちゃって。
惰性で眺めるのも疲れてくるから、サブスクですらやめようかなって。
そんな折、
10年くらい前に出版されてた、お気に入りのインテリアの本を読み直しているときに、はっ!としたんです。
それこそ、ファッション雑誌のインテリア特集をまとめたような本なんだけど。
小さい写真に添えられた、さらに小さい文字でびっしり書かれたキャプションも、
それぞれのお部屋のテーマやキャッチフレーズも、
今、私が細かく読み込んでいるこれらの文章は、
全部、この本を作った人たち(ライターとか編集者とか)が、書いたものだ、ということに。
(当たり前だよ!)(当時は)
や、やっぱり、人が書いた文章のほうが、断然いいなあ!と、しみじみ思ったわけです。
滲み出るものがあるんだよ。人の文章には。
ダメじゃないんですよ。AIが。
誰にでもわかりやすくあるべきな事務的なものとか、説明とかは、全然良いと思う。
速いし、誤字も無いし、文法も間違わないし、筋道立つし。
だけど、なんか、こう…
感性に響かせたいとか、
自分の気持ちを伝えたいとか、
空気感とかムード、センスを届けたいときは、
人が書いた文章じゃないと、惹きつけられないんだよなあって。
わかるんです。
AIに頼っちゃうっていうか、AIにちょっと提案させると、なんか完成形っぽい文章が高速でアウトプットされるから。
別に間違っているわけでもないし、なんかそっちのほうがまとまってる感じあるし、
ほなもうこれでいいか〜ってなる。なるよ!
私もなる。
自分がうまくまとめられるわけでもなし、まさに今煮詰まって止まってるし、
時間も予算もエネルギーのリソースも大してあるわけでなし。
なんならどうせ、みんな大して読み込んでくれるわけでもなし。
もういっか、chatGPTが今出したこのままで。
自分の書いた下書きみて、もうこれ要らんか、捨てちゃうか、みたいに!!!!!!
なる!なるけど!
後日読み返して、キッショ!ってなって自分の文章もAIが出した文章もぜーーーーーんぶ消したり!する!私これ!!!!!
こんなことをしていては、自分の創造性が誇張なく死んでしまうわと感じたので、
わたしはこれからも人間の書いた文章を読んで、悩みながらも自分で書いた文章を出してゆきたいと思います。
まま、使い分けです。
リソース割かないでやったほうが良いような文章や、個性を出さないほうが良いものは、AIに任せたほうが絶対にいいし。
自分で極力やりたくないようなものとか、お願いしたら秒で出してくれて「スキ!!!!天才!」って大感謝するもんね。
でもでも、
これは自分のだ!!!って思うのは、自分が頑張ったほうがいいっていうことです。
あ、でも、たまに、
軽い気持ちでアイディアを投げていたら、
AIにするっと出されたそこそこいい感じの文章がなんか妙に気に触り。
「貸せ!オレがやる!」という対抗心が湧き上がった私は、
元は自分が出したはずの、そこそこいい感じの文章にされたネタを全部ボツにするという、
謎の縛りプレイを自分に課した上で、全く違う方向性の文章に書き上げることがあります。
⋯勝手にライバル視する相手としては、良いですね。

