華とゆとりと油断のはなし

私はいつもだいたいなんやかんやあるのですが
(スピリチュアル的なあれこれ)
ここ2~3日、スン、と落ち着いているような妙に動きがないような。
そんなムードを感じておりました。

昨日は家族の不調でてんやわんやしてて、
とことん寝不足だしもともとの予定をリスケしたりして、
夜早い時間にご飯も終えて、あとはもげーーっと1日が終わるだけかな、
と思っていたら。

大きめのあれこれがどん!どん!どん!と発生。

ああああ時間的な余白はあるけど
体力は残ってねえええよおおおおおおおという時に限って。
この規模。
油断できない。

むしろ油断してるほうが、意識ががばっとしてるから、
都合がいいんだろうか…?

(私のしごと的には)

 

まあ、だから、
いろんな余白、スペース、バッファ、遊び、隙間、は作っておくにこしたことはないんだよな。

 

直接は関係のない話ですが、
最近読んだ話の中で、すごい納得した一節があってね。

 

『華がある』というのは、つくづく豊かで余裕がある、というのに等しい

 

そういう表情や感情、雰囲気を
自然に外に出せているのも、ゆとりがあってこそなんだな、と。

一般的?な使い方で言われる「あの人はオーラがある」っていうのも、
ゆーたらそれもエネルギーですから。

他者が圧倒されるような、魅了されるようなエネルギーをまとえてるっていうのは、
そういう器が、余力(エネルギー)が、たっぷりとあるからだなあ、と。

(演じたり、無くてもむりくり絞り出すのがお仕事な人もいるだろうけどね)
(あと、オーラのない人なんていないけどな)

そうしますと、華とか色気とか、そういうムードが自分に欲しい人は、
豊かさやゆとりを自然に持てるようにするっていうのも一つの手ですね。
まあ、がむしゃらとか無理やりにやるなんて、『華やかさ』から一番遠いもんね。

 

あーん。
私の余白やゆとりは、みんな上に使ってしまってるけどねえ。ねえ!

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