目標達成と「心の声は果たして当てになるのか」問題

ついさっき、
今年の走り納め(仮)をしてきました。

今年何度も行った、
隣町の水元公園にてぱしゃりー。

無事今月も100k走破できたので、
ほっと一安心です。

記録を見直したところ、
2020年は、【217回 合計距離1,377km】走りましたー!

(上段が1〜5月分、下の合計が6〜12月)

え?そんなに!?と自分でもびっくり。
今となりの娘から「フルマラソン32回分、月3回はフルやってる計算だね」と
言われて、ちょっと口元が緩んでしまいましたへへへ。

7月に足を怪我して、まるまる半月走れなかった以外は、
毎月目標をクリアできていたので、
今年の自分としては大満足です。ありがたや。

 

この流れでお話ししますが、
『毎月100km走る』とは、具体的にいうとこんな感じになります。

・10kmなら10回
・5kmなら20回
・3kmなら34回

藤咲の場合、基本的には6kmのコースを作って走っていて、
それでも月に17日出ないとクリアできません。2日に1回以上ですね。
天候や他の予定もあるから、なかなか計算通りには行けないので、
週に一度は、長めの距離(10km以上)を走るようにしています。

そうすると、だいたい月に14~16日前後で100km達成ですかねえ。

 

いくら自分がやりたいこととは言え、
毎回毎回ルンルン♩で走っているわけではありません。

「あー調子悪い。行きたくない。なんか気が進まない。どーしよ…」

とぐずぐず思い悩む日が…正直、結構な割合であります。

いやほんとにね。
やりたいことのクセに、テンション上がらん日がめっちゃあるんです。

体調を慮った上で、行った方がいいのが、休んだ方がいいのか、
判断もつかない日もたくさんある。

 

そういう日に、
延々ぐずぐず悩んだ上に、無理やり着替えて外に出て、
しばらく足を動かしていると…

意外にも調子良いタイムが出たり、いつもより楽に長く走れたり…
するんですよ。なぜか!知らんけど。

「身体しんどい」と心底思っているのに、
手元のスマートウォッチが知らせてくれるのよ。
「今日の君は体調も良いね!」って。おいおい、嘘だろGarmin…!?

もちろん、走り終わった後は、行ってよかった!すっきりした〜
ってなるんですけどもね。だから続くんだけど。

 

え?でも、じゃあ、この私の。

「あー調子悪い。行きたくない。なんか気が進まない。」
っていう気持ちって、
一体なんなの?どこからきてんの?

ってなるんですよ。嘘ではない、本当にそう思っていたはずなのに。

でも結果はちょっと違うどころか、真逆だなんて…
自分の『心の声』とか『素直な気持ち』って…

あんまり当てにならなくない…?

 

もし、この気持ちに毎回素直に従っていたら、
私は、間違いなくほとんどの月で、
自分で決めた目標距離を、クリアすることができない。

自分の心を尊重しまくった結果、
「自分で決めたことなのに出来ないダメな自分」という自己評価にも、
繋がってしまいかねない。

 

そもそも、心の声や気持ちだってひとつなわけじゃないしね。

大前提として、「走りたい」という気持ちもあるからこそ、
頼まれてもないのに勝手にやってるんだけども。

『自分の今の気持ち』を尊重することが、必ずしも良いとは限らない、
と思うのです。

 

もちろん常に無視しろ、ということでもないし、
そっちが正解だったときだってあるんだけど、

「自分の心が、自分の気持ちが、絶対正しいに違いない。いつも従うべき。」

と一本槍に決めつけてしまうのは、あんまりしないほうがいいかもな、
というのが、私の所感。

 

そんな私が、月の半分もどうして走りきれているかというと。

「ひとまず着替えをして、靴を履いてみる」

つまり、習慣と行動』を優先して採用しているのです。

準備の間に、心でなく身体が抵抗しているのを感じたら中止。
そうでなければ外まで出て、とりあえずゆっくりでも走り出します。
その上で、「辛くなったらす我慢せずに中断して帰ってOK」と決めています。

…中断したことは、ほとんどないんだけどね。

事前に中止を選んだ時は、
自分を責めずに、「今日は休養を優先で、次は絶対行こう」と
前向きにしています。

 

 

それでももし、続かないのであれば…

決めたことに無理がないのか、
実行を容易にするには、どうしたらいいのかを考え直します。

何より、そんなに出来ないのであれば、
果たしてそれは『本当に自分がやりたいと望んだこと』なのだろうか?
というところから、
見つめ直すべきなのだと、私は考えます。

 

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