要は「買って失敗したモノ」を、「失敗した」と認めて捨てました。
合わないモノをなんとか工夫して合うようにしようとか、
合わないモノをなんとか自分をごまかして「合っている」と思い込もうとか、
いろいろありますが。
私の場合は…
「失敗の責任を取って自分で使い切るべき」という極めて自罰的な意味で、なんとか使おうとする
のです。
自分の買い物なので、誰かに迷惑かけることも、責められることも無いのにもかかわらず。
こういうのが!非常に!多い!私は!
まあそれを我慢して使い続けても、誰にも迷惑をかけることもないし、何も言われることもないので、長らくこのまま生きてきたわけですが…
最近、無理して使い続けていることに対して、心がガッスガス削られているかのような感覚が大きくなってきました。
しかしモノに罪はないしなあ…
というか、この「モノに罪はない」というワードも曲者ですね。
自罰タイプのアタシにはぴったり(つら
モノに罪はないけどオマエ(私)に罪がある。キツい!
などと思い続けていた矢先、先日、たまたま会話の中で出た【損切り】という言葉が妙に心に残りました。
選択が失敗したことに対していつまでも「いやなんとかなる」「失敗してない」「買った分は使わないと」と先延ばしにし続けるのをやめて、
「失敗した」ことを認め、その上で「懲りる」ことをしない限り、
この先も同じ失敗を繰り返すな…?
つまり、今、ここで私は「損切り」するしかないな?
や…
やーーーーーーーーーーーーー!!!!!と、叫ぶ勢いで、合わないものたちを処分しました。
さっきの「モノに罪はない」と同様に「モノを粗末にしてはいけない」というのがございますね。それはそうです。
しかし、モノを粗末にしないことで、オマエ(私)を粗末にしているのはいいのか!?
願わくば、なにも粗末にしないようにしたいよな!!!
ということで、さよならしたモノたちの
「手放したいと思った理由」
「今後同じようなモノを欲しいと思ったときの対策」
を真剣に考えて、同じ過ちは二度繰り返さないという強い決意と反省を、己に刻むことにします。無意味な自罰の代わりに。
そしていくつか捨てると、じゃあこれもこれも捨てるか…となってくるので、図らずもお片付けデイズ開幕と相成りました。
見とけ自分よ…もっと洗練させた生活にしてやろうじゃねえか…!