『悪くない』で選んでない?

先週の1dayセミナーでも少しお話したことです。
事の発端は、その前日にした、母との会話がきっかけでした。

 

会った時に母は、首元に見慣れないアクセサリーをしていました。
そもそも、そういうのをつけないし、明らかにハンドメイドとわかるモノ。

私の視線を感じたのか、
「これどう?お客様にもらったの。手作りだって。」と母。

「自分はどう思ってるの?」と私。

「え?」と戸惑う母。

なんということでしょう。
自分がどう思っているのか、考えたこともなかった様子。

私の母は、私と真逆のキャラクターのせいか、
そうやって何かと人からものを渡される人なのです。手作りとかお下がりとか!

「自分がすごく気に入ってるのなら良いと思うし、
もらったから使わないと〜ってなってるのならば、やめたらいいんじゃないの」

と言ってみると、

「う、うーーん。悪くない」

「いやいや『悪くない』と『気に入ってる』は全然違うからね」と私。

母は「鏡見てくる!」とトイレに駆け込みました。

その後、「うん、気に入ってる」というので、まとまったのですが、
そもそも改めて確認しないと、
気に入ってるかどうかわからないものを身につけてたのかいいいい!とは、
突っ込んだわけですよ。

 

こういうのが、
自分の生活、ひいては自分の人生のいたるところにでるわけです。
人生はっていうか、
毎日は膨大な数の選択の連続だから。

「とりあえず・・・」
「もったいないし・・・」
「相手に悪いし・・・」

かといって、
「絶対嫌!死んでも嫌!ってわけでもないし・・・」っていう、

つまり

『悪くない』

という基準を受け入れていると、それがそのまま自分を構成していきます。

「(そんなに食べたくないけど)とりあえず食べよう」
「(使い道思いつかないけど)もったいないから取っておこう」
「(面倒臭いけど)断ったら相手に悪いし」

・・・とやっていると、
「そこまで好きじゃないけど、嫌いではないから、まあ悪くないからいっか」となります。

そうやって選んだものを食べて、身につけて、行動して、家に住んで、出かけて・・・
とやっているわけですから、
その「『悪くない』で構成された自分」のことを、
周りの人は、「その人そのもの」と見なすわけですね。

自分は「そこまで好きじゃないけど、嫌いではないから、まあ悪くないからいっか」と思っているものなんだけど、

他の人からは、こう見えるわけですね。

「きっと好きなんだろう」
「好きでやっているんだろう」
「好意的なんだろう」

・・・「「「だから受け入れてくれるはずだ」」」

と。

そしてさらに、
周りから『悪くない』ものが集まってくる仕組みです。

そうやって、『悪くない』現実ができあがるのです。

 

いつも繰り返して言ってますが、
今の毎日に満足してるのならば、
全然問題ないのですよ。

でも、

「なーんか、悪くないんだけど毎日パッとしないなー」
「何やってもなんかなあああ」
「断捨離してるはずなのに、なかなか理想に届かないなあ」

とかって、なってるのであれば・・・

ひょっとしたら、
原因はその「自分を『悪くない』で構成してること」にあるかもしれないのです。

 

最初は勇気がいると思うけど

『悪くない』から、
『こういうのが好き!』『こうしたい!』ということだけを選んでいくようにすると、

間違いなく変わるよ。

 

そして、
「好き」と「こうしたい」で構成された自分になっていくと、
周りの人の自分に対する捉え方も変わってくるから。

だって、自分というものがくっきりしてくるから。

イコール「みんなに好かれる」とは必ずしもならないけども、
少なくとも今までよりも「自分らしい自分」を好いてくれる人は、
現れてくると思うのよー。

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