これまで、
『ON』と家族関係について書いてきましたが…
今回は、
スピリチュアル的な視点から『家族』についてお伝えします。
歴史を振り返ればわかるように、
『家族』『家』などを重視する考えは、時代や文化、地域ごとの違いはあれど、
日本のみならず世界中にあるものです。
しかし、これはあくまでも『人間的な都合』に基づく話。
原則として、
スピリチュアル的には、
「家族といえども、魂は『他人』」
です。
よって、
「(家系絡みの)先祖供養」「家系の存続」などと、
「個人的な使命・天命」は、切り離して考える必要があります。
仮に、家族と絶縁したからといって、
必ずしもスピリチュアル的なペナルティがあるわけではありません。
人によっては、むしろ
「家族との訣別」「家からの脱出(自立)」などの家族関係のテーマが、
『今生の使命』となっている場合もあります。
(もちろん「今生は家族と仲良くする」のようなテーマを持つ人も、
ごく一部ですがいないわけではありません)
しかし、巷のスピリチュアル業界においては、
『縁』というものがなぜか過大評価されているのが現状です。
「家族」を始め、「友人」や「パートナー」などという近しい存在に対して、
やたらと特別な意味を持たせることも少なくありません。
日本には、「袖振り合うも多生(他生)の縁」という言葉がありますが、
実際に高次の世界を覗いてみると…
「前世は親しかったけど、今生では掠りもしない」というケースもあれば、
「前世では赤の他人だったけども、今生では家族」というケースもあります。
果ては「お互いが『架空の過去生の記憶』を持っていて、
『前世からの縁があるという設定』で今生の使命として決めてきた」
というケースもあるのです。
つまり、人間の言う『縁』『家族』というものに縛られすぎてしまうことは、
意味がないどころか、本当の使命を果たすための障害となり得るのです。
とはいえ、これまで行ってきたセッションでの経験上、
家族との縁を断つべき人ほど、
正しい選択に対して「自分は間違っているのではないか」
「これは自分のエゴではないのか」と思う傾向があり、
逆に、家族絡みの問題を解決することを使命としてきた人に限って
「私はそんなことやりたくない」などと主張する傾向があります。
このように、自分ひとりで判断するのは難しい面もあるのですが、
ひとまず知識として、上記のようなことを知っておくのは、望ましいことです。
とりあえず今回はこれでおしまい。
ここでは(上からストップがかかって)書かせてもらえない話も
たくさんあるので、
気になる方は、セッションの際にでも聞いてくださいねー。
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