最近のトトノエ 〜9月の断服式 続き〜
この続き。
まだまだ暑いけど、そろそろ秋雨前線が来て気温が下がると見て、
夏のサンダルを仕舞うべく、とりあえず洗いました。(絶対洗いたい人間)(洗える素材マスト)
手放す服や靴で状態の良いものは、手入れをしたのち買い取りに出しました。
数は少ないけど(いや、少ないからか?)丁寧な査定の人に当たって、思わずにっこりしちゃう額で引き取ってもらえて大満足。
特に、どうしても足が痛くなる靴とか、我慢してどうにかしようとせず、なんならそのシーズン中に手放すほうがいいんだよなあ。
次に誰かに使ってもらうと考えるならなおさら。
買ったはいいものの、着用回数がものすごい低いものとかも含めて、損切りの見極めは早めにしないとな。
総量をキープするため、靴の収納スペースも、洋服ハンガーの数も増やさないようにしているので、好みや考え方が変わったり新しいものが欲しくなった時は手持ちのものすべてを見直します。
すでに厳選して数も絞っている今、消耗以外での「手放す基準」はこういう感じ。
・なぜかためらって全然着ていない、履いていないもの
・身につけていて疲れたり痛くなるようなもの
・今の自分が進みたい方向性から離れるようなもの
自分で理由を掘り下げて明確にして、次の買い物に活かすようにしています。
【RE】シリーズで気づいて手放した、私の『自動思考』
【RE】シリーズを使っているうちに、自分が無意識に我慢してきたたくさんのことをやっと自覚できるようになりまして…
気づいた時点で「それもうやめよ〜」と決意して、頑張って行動を変えていくようになりました。
洋服や持ち物などに関わることで、何をやめたかをいくつか挙げてみると…
・合わないものを「それを選んだ自分が悪い」って罰のようにして使い続ける
・ずっと欲しかったものを「自分には合わないから」「もう別のがあるから」と諦めて遠ざけ続けてしまう
・両方手に入れてもいいのに「どちらか一個だけ」「順番に」とか謎の縛りを入れる
・身につけるのは自分なのに、自分の目よりも、他人の目利きの方が良いはずと錯覚してしまう
・「他人(素人)がする自分への評価」を正解だと思い込んで、それを長年のセルフイメージとしてしまう
(せっかく気づいても頭の中にあるだけだとすぐに忘れてしまうので、どこかに書き留めるようにしています。)
それはもう「自動思考」のようなものなので、別に今まで「罰のように」「諦めて遠ざける」「縛り」「錯覚」「他人が正解」とか思ったこともないんですよ。
ごく当たり前のように。ニュートラルに(笑)この考え方が知らぬうちに発動して、「これを選んだ自分が悪いから仕方ない」「自分には合わない」っていう結論となって出てたんです。
もちろん、今でも自動思考は健在でいつも通り「◯◯しなきゃ」って一旦なるんだけど。
ふとした拍子に「待てよ?あれ?え?これもう変えても良くない?」って急に思える瞬間があるんですよね。
前のめりで近視眼になってたのが、姿勢を正して、一気に視野が広がったような感じ、とも言えましょうか。
リスクもあるだろうけど、とりあえず別の案採用してもいいんじゃないかな?と、考えられるようになってきて…
恐る恐るやってみると、意外にも、「うわーっ嬉しい!楽しい!そしてラク!」みたいな展開になることが多くて。
そして、
もっと早くこうしておけばよかった…
となって、今更またたっぷり悔やむんですけど。私は。笑
しかしそれでも、今日が残りの人生で「最初の日」なので、今日やってギリよかった…って、毎回思ってます。
やっぱり肝はコレ。