どこにも書いてないから自分が書くんだけど

昨日書いたこの話。

こういうのがどこかに書いてあったらよかったのになって
あくまでこれは、私個人の話なんです。 っていう前置きから。 もし「幸せですか?」と聞かれたら、 だいたいどんな時期でも、それなりに『イエス』と答えたと思うんですけども。 逆に、 「幸せになりたいあなたへ」 「幸せになりましょうね!」 「幸せ...

 

「ずっとこれが辛かった」ということよりも、
「え?なにこれ?これ辛かったんだ!?」と、
40半ばで初めて自覚するようなことのほうが、なかなかどうして身体にキます。

自分でばっちりと気づいた時点で、
それ自体はもう消化(昇華)できつつあるので、それはいいんだけども、
そこで初めて「傷(痛み)」として認識したからなのか、
潜在意識だとか身体の方にはそれなりにショックがあったりしてね。

昨日の夜は「顔真っ青」と家族にも心配されたし、
明けた今日でも、己のポンコツぶりにも拍車がかかっていたため、
そういう時は、本当に休養第一で、
家でおとなしくするわけです。運動も今日はナシ。
内観作業は脳を酷使するので、サプリもドリンク剤も入れまくってます。

 

ところで、
なんでこんなことをしていたのかというと。

 

巷でよくある、
「幸せな◯◯になるための…」というタイトルには、
私は惹かれないので、手に取らないし、クリックしない。

でも、世間的には、ベストセラーでもブログでも、
「幸せなお金持ち」「幸せな成功者」「ハッピーライフスタイル」的な
キーワードが、ヒットしているのを知っているし、
そういうのがヒットするのも理解できるのです。

ちゃんと読めば、『幸せな◯◯』にも心から内容に賛同できるのです。
「内容が良いから」と紹介された、そういうタイトルの本や講座は、
これまでもきちんと読んだり受けてきたしね。

ただ、タイトルだけを見たのでは
「ああ…私向けじゃないな…」とスルーしてしまうので、
なぜスルーするのか、どうして繋がらないと『思う』のか、
というのを掘り下げていた、というのが発端だったのでした。

 

余談ですが、私が目を向けてしまうワードは、
「100%自分原因説」みたいなやつですね。「幸せ」とか無縁だよ。笑

(実際の「100%自分原因説…」の本は、私が思ったのとはまるで違うみたい)
(なので、この本も気にはなってたけど、読んでないんだなあこれが)
(あ、読む予定もないです)

 

こういうのを、何かを作る前や、セッションや講座の前後とかに、
延々とやり続けているんですよ。
何時間どころか、1ヶ月以上かかる時もあります。

普段の生活では支障もないし気づきもしないので、
「なんで?」「なんかあんの?」「どうしたら繋がるの?」って、
わざわざ自分で自分の地雷に突っ込みに行くようなもんですけどね。

仕事にしてるくらいですからね。

 

なんだけども。

剥き出しの傷が開いて内心で血をダラダラ流しながらも(比喩)、
そういう時ほどいいアイディアとかフレーズとか出てきたり、
考えが進んだりしちゃうんでね…

もうこれ知ってるんでえ。

しんどかろーが、
やめられないんだよねええもう。

性(さが)かしらね。

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