我が子の名付けを振り返る

今日はこれから、
娘(JK)の学校の合唱祭を観に行きます。でっかいホールでやるんだよ。

 

昨日までの彼女との会話の中で、

娘「全体の審査員やるんだ」
私「へえ」
娘「クラスの指揮者になった」
私「ああそう」
娘「ソリ(二人とかで歌うやつ)もやるから」
私「…は?」
娘「結局自分が指導してるんだけど!(元合唱部)」
私「フーン」
娘「女子が衣装で揉めてて、なんでか仲裁役をさせられる!」
私「…???」

 

あの人がどこに向かってるのかわかりませんが、
気がつくといろいろ抱える羽目になっているのは、
勝手に両親から譲られていくんだわあと、しみじみします。嫌だわあ。

本人には

『仕事も面倒もできるやつに集中するから仕方ない、諦めろ』

といってあります。すまん娘。

 

彼女の名前は私が考えたのですが、
「めったにいないタイプなのにどまんなか!」みたいな意味で名づけましたら
思春期女子とは思えないほどの、独特さかつ妙に孤高の人なのに、
結局いつも誰かしらの世話焼きさせられる変わった人になったので…

まさに昨日言われた通り、
「人生の半分と、家の盛衰の半分を、名付け親に握られている」
というのは過言ではないのかもしれん。

高次から聞いた『名前』の話

そして、自分のつけた名前に込めた意味が、
あまりに矛盾していることに、先ほどタイプした後に気づきました。
あの頃(20代中盤)の時点で、これか!わはははは。
もー、これもオクシモロン(oxymoron)じゃーん。

今は自覚して、
完全に矛盾した状態で物事を捉えたり何かをしたりをするのですが、
もともと私は、矛盾がいつも当たり前に存在している考え方をしてたのかもしれないなあ。

 

こういう、自分の価値観とかベースなところは、
人生の選択や行動にあらわれるけど、もちろんエネルギーワークにも反映されるんですよ。
だからたまにこうやって、
ぼこっと自覚できると、今までのいろんな辻褄があってたんだなあというのがわかって結構面白いんだよね。

 

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