「スピリチュアルを学び続けて良い人」「『スピ断ち』が不要な人」とは
『スピ断ち』についての記事を書いていました。
一時的な『スピ断ち』、期間を決めた『スピ断ち』
完全な『スピ断ち』…
『スピ断ち』書きすぎて、いい加減ゲシュタルト崩壊しそうですね。
以前の記事に、こう書きました。
以下のいずれかに当てはまる人は、
『スピ断ち』を実行することをお勧めします。・『スピ断ち』と聞いて
「絶対嫌!無理!」「なんでそんなことしないといけないの!」と、
『怒り』や『恐怖』、『不安』などの強い感情が湧いてきた人
・色々なワークをやってもやっても、現状が好転しない人
・何かあった時に、すぐにスピリチュアルに結び付けてしまう人
(例:前世、霊障、守護霊、カルマ、輪廻転生…etc)
・スピリチュアルワークに取り組んだにもかかわらず、
深刻なお金の問題を抱えている人
・スピリチュアルワークに取り組んだにもかかわらず、
職場や友人、家族間などで、人間関係の大きなトラブルを抱えている人
・スピリチュアルワークに取り組んだにもかかわらず、
やる気が出ない、イライラして仕方ない、毎日憂鬱である…などの
『メンタルの不調』が改善されない人
・スピリチュアルワークに取り組んだにもかかわらず、
眠れない、体調が優れない、めまいがする、起き上がれない…などの
『肉体的な不調』が改善されない人すなわち、
『スピリチュアルに関わっている今現在、
何かしらの現実的な問題が生じているが、改善の見込が立っていない人』ということになります。
…それじゃあ一体、どんな人ならスピ断ちしなくていいの?
答えは。
『今現在、特に困っていることは無い、という人』
です。
(注:「死への恐怖」「西洋医学では解決できない肉体的問題」
「提供者などから受けた、エネルギーまたはスピリチュアル的問題」を除く)
「困っているから、スピリチュアルで解決しようと思ったのに!」
という考えは、残念ながら、もう通用しません。
別に以前ならばよかったわけではないですけどね。
もともと通用してませんからね。
過去、失敗しても挽回できたり、すこしの猶予があったりしたのは事実でした。
けれども、今はもう、違うのです。
物事にスピリチュアル的な意味を求めつづけても、
何かのワークに没頭するフリして逃げ込んでいても、
素晴らしい教えやセッションを探し求めていても、
今の状況が好転することは、ありません。
現実的な問題は、現実的な対処で向き合って解消できた、
すでに向き合って、なんとか解決できつつある、
今後問題が起きても自分で対処していく覚悟である、
と言えないのであれば、
「スピリチュアルを学び続けること」「スピリチュアルに関わり続けること」
は、単なる『現実世界からの逃避』になってしまいます。
時間は一秒たりとも無駄にできません。
逃避している、遠回りしている余裕なんて、もうないのです。
だからこそ、
「なぜ自分は、スピリチュアルの学びを続けたいのか?」
「なぜ自分は、スピリチュアルに関わり続けたいのか?」
ということを、
改めて、自分に問い直してみてください。
くれぐれも「スピリチュアルに関わるな!」と言っているのではありません。
学びを止めさせたいわけでもありません。
ただ、流れも変化も激しいこの時代。
今やるべきことを見失うことは、
後からでは取り返しのつかないことになりかねないですから。
『スピ断ち』の必要があろうが、なかろうが、
「今自分がやらなくてはいけないのは何か?」
「なぜそう思うのか?」
常に自問自答を続けていくことは、人生において必要なことだと思うのです。
その上で、
「スピリチュアルの学びを続けていく」
と決意したのであれば、
覚悟と責任を持って、そして相応のコストを払っていくことが必須です。
これはスピリチュアルに限らず、何事においても同じですよね?
「知らなかった」
「そんな大ごととは思ってなかった」
「やろうと思ったけどできなかった」
なんていうのは、言い訳にもなりませんので、
情報や知識は常に最新にアップデートし、技術の向上を図り、
自己のメンテナンスも言わずもがな、どれも怠らず励んでいきましょうね!